旅打ち・・・・が一番の目的ではなく(苦笑)、史跡・名城巡りです。
というか、行きたい場所が「てんこ盛り」で、旅打ちができなかったのが実情だったりします^^;


まずは「彦根城(国宝)」

 連休中だったせいで大混雑です(笑)。

 隣接の庭園からの風景。

 これが「アノ」有名な『ひこにゃん』

 凄い人気なんですよね。
 中に入ってるのは、きっと市役所の観光課のオジサンなんでしょうけど(笑)。
 この写真撮影タイムって、結構時間が短くて大変でした。


石田三成の居城「佐和山城跡」に行こうとしたのですが、実は、今はお寺の所有地らしい。
墓場の中を通って、しかも細い山道を登らなければいけません。
おまけに「猿」に襲われる可能性もあるなんてw
この日は16時くらいから登ったのですが、当然明かりもないので、お寺の人に
「今から行くんですか?」って、かなり心配されました(苦笑)。


途中で崖から落ちるのでは・・・?なんて道を心配をしつつ登り、山頂に何とか着きました。
ここまで来る人は、あまり居ない感じでしょうか?
ちなみにベンチに立てかけてる看板は、最初からこうなっていたのではなく
地面に倒れていたものを、私が起こして立てかけたんです(苦笑)。


かろうじて、石碑(?)がある程度。
徳川家康は、ほとんど跡形も残さないように佐和山城を破壊したらしいです。

この日は「佐和山城」の山登りで、完全にグロッキーでした。


翌日は、またしても(笑)、関ヶ原へ。
前回は、重要なところしか見てないですが、今回はできるだけ多くのところを見てきました。

くわしくは「コチラ」を参照。


島津陣地と開戦地らしいです。

    
島津義弘の陣跡です。
ココから敵陣中央突破の退却をしたんですね。


キリシタン大名だった小西行長の陣跡です。

   
宇喜多秀家の陣跡です。


石田三成の盟友、大谷吉継(吉隆)の墓です。  

 隣には最後まで忠実な部下であった、湯浅五助のお墓もありました。

 大谷吉継の陣跡です。


大谷吉継の部下、平塚為広の石碑です。


脇坂安治の陣跡です。
当初は大谷の部下として陣取ってましたが、小早川の裏切りに乗じて、東軍へと寝返ります。


さて、あの松尾山へ登るとしますか(また山登りかよ?)


片道40分ぐらいかかりました^^;


ここが、小早川秀秋が陣取っていた松尾山の山頂です。
関ヶ原が一望に見渡せますね。
写真の中央あたりの森が、石田三成が陣取っていた笹尾山になります。

 ここらへんあたりです(クリック!!)

 開戦時はこんな配置だったらしいです。

 藤堂高虎と京極高知(ともに東軍)の陣跡・・・なのですが...

 
なんと中学校の敷地内っ!!(笑)。
私らも分からなくてウロウロしていたら、近所の人が教えてくれました^^;
(矢印が石碑の場所です)。

 これが「徳川四天王」といわれた、本多忠勝の陣跡・・・なのですが...(クリックw)

 ここで関ヶ原の戦いが始まったようですね。

さて、関ヶ原はこれぐらいにして・・・

  
姉川の古戦場跡です。
織田信長と浅井長政が戦った所ですね。

  
長浜城です。秀吉が信長から最初に与えられたという城らしいです。
もっとも完全な「資料館」であって、本当の城ではないようですが^^;

 長浜城の天守から見た琵琶湖です。

 
秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ嶽です。
夕方に到着したのですが
残念ながら、この日でオープウェイが終了(運行期間終了のため)だったようです。
自分の足で登るにも1時間近くかかるとか・・・。

というか、・・・松尾山を登ってますので、足がガタガタで、もう登れませんって(苦笑)。
職員さんに「また来年来てくださいね♪」といわれてしまいました^^;


浅井長政の居城だった小谷城に関する資料館。
結構、こじんまりしてます。

見えにくいですが「小谷城跡(看板)」。

いえ・・・車から見ただけですけどね。

   もう、登れませんから・・・足がガクガクで(爆)。

2日目も結構な強行軍で、マジで疲れましたよ。

さて3日目は、愛知県へ。

まずは、なんといっても「名古屋城」でしょう♪
 

 天守閣からの眺めです。


名古屋城を見て、次は犬山城(国宝)へ。

小さい城ですが、なかなか風情がありました。
 天守閣はこんな感じですが(クリック!!)
木造部分が多いので、ギシギシ音がするのも、すげー怖かったっすw

 

城下町の雰囲気が残ってる(?)感じでしたね。


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